2009年11月23日月曜日

ブラックスワン



未来のことを予想できるのか?それに対するニコラス・タレブの答えがこの本には書かれています。結論は、「無理」。

理由は「人間はそんなに賢くない」「物理法則はカオスに代表されるように、すこし複雑になると手に負えなくなる」ということを上下2冊の分量で饒舌に語っています。予想のハズレ具合にマンデルブロは「フラクタル」を見出した、とか、その重要な発見を経済やファイナンスの人間は無視することにした、とか、ノーベル賞をとったブラック・ショールズのオプションの価格計算の公式はぜんぜん新しくもないし、そもそも正規分布を仮定したクレイジーな理論だ、とか。また、人は予測できない事象がおきても、後付の理屈で分かった気になるし、歴史の本はだから分かりやすいのだ、とか。

とにかく、長い本ですが、結論は「人には未来の予測は絶対にできない。出来たつもりでいると、思いがけないところで、予測されていない事にでくわす。それをブラックスワンという。」と三言ですんでしまう。

ブラックスワンに対処する方法は、悪いブラックスワンと良いブラックスワンをちゃんと見極めて、良いブラックスワンにのみに会うように、自分の行動のポートフォリオを組むというものです。タレブは金融のトレーダーでもあるのですが、安全資産の比率を高め、無茶苦茶ハイリスクな資産に少しだけ投資、というスタイルだそうです。研究者なら、良いブラックスワンに会う確率を高めるために、まじめにコツコツと研究しなさい、となるのですが。大学や研究機関の給料が安いからといって、間違っても競馬や株なんかやってはいけないと、ということでしょうか。

私も予測と結果の間にある法則性を研究しているので、タレブの言うことは基本的には正しいとは思っています。が、人には未来がまったく予想できないかというと、それも違う。例えば、天体の運動なんてのは、恐ろしい精度で星の位置を予測するし、天気予報も外れることはあっても、最近結構あたるようになっている気がする。一方、経済や社会に関する事象の予測は難しい。例えば、年末に雑誌で書かれる「来年流行しそうなモノ・事」なんてのは、1年後に検証すれば悲惨な結果になるような気が。では、予想と結果の間にはどのような法則性があり、どんな場合には予想可能だけれど、どんな場合には不可能なのか?また、その場合、どのような質的な違いがあるのか?

予想が難しい場合は「べき乗則」が見られると、競馬での万馬券の分布などを証拠に考えているのですが、果たして正しいのか?正しいなら、それは何故なのか?そろそろ結論を出したいところです。

天使と悪魔



今年の夏に映画が公開されたダビンチコードの続編「天使と悪魔」です。もっとも、作品的には「ダビンチコード」よりも前に書かれたもののようです。

話は、スイスにあるCERNという高エネルギー物理学研究所から始まります。ヴェトラ博士がビッグバンを加速器の中で再現することに成功し、その過程で反物質(反水素=反陽子と陽電子で構成)の多量(4分の1グラム)の生成と保存に成功したこと。その反物質を効率100%の核爆弾として、500年以上も前にガリレオにより結成された科学者たちの秘密結社「イルミナティ」がテロリストとしてバチカンに報復する。それを阻止すべく、ラングドン教授が活躍するというストーリー。

話の真偽はともかく、キリスト教にまつまるいろいろな薀蓄は面白いです。例えば、クリスマスは12月25日で、キリストの誕生日だと教えられていますが、そうではなく(正確な日はよくわからないらしい)12月25日は太陽信仰の人々を取り込むために、キリスト教会側が彼らにとって神聖な日であった冬至の日にあわせて設定した祭日である、とか。

ちなみに、スイスのCERNと書きましたが、大学3年のとき、早野先生に「原子核物理」を教わったとき、彼が「サーン、サーン」というのをきいて、無意味に「かっこいい」と思ったことを思い出しました。それまでは「セルン」と発音すると思っていたので。彼の講義は、ときどき眠ったりもしたのですが(一番前に座っているので、先生からは非常に目立つようで、講義のあと「面白くなかった?」と質問されたことも)、物理学科の講義の中では楽しめる数少ないもののひとつでした。しかし、何故か彼の「天使と悪魔」の解説ページでは「セルン」と書いてある。

映画の「天使と悪魔」が楽しみです。レビューを見る限り、原作を読んだ上で映画を見ると、あまり評価がよくないようですが、レンタルして見てみようと思います。