2011年3月27日日曜日

ダンゴムシに心はあるのか



筆者の目標は「心や知能の遍在性」つまり、どんなものにも「心」や「知性」があることを示すことだそうです。でも、「心」とは一体何なのか。この本のユニークなとこは、「心」の定義です。筆者は、我々が用いる「心」という言葉とも矛盾せず、それでいて、観測が可能な定義をあたえました。それは、「対象の心とは、ある行動を行うときに、それ以外の余計な行動の発現を自律的に抑え込むものである」というもの。これだけだと、観測できないように思えますが、自律的に抑え込んでいるのが、未知の状況下では、そのタガが外れることがあり、その時に「心」が見える。ある意味「心」の操作論的な定義とも言えます。

この定義に基づいて、ダンゴムシに「心」が存在するのかどうかを実験で明かにします。この定義を受け入れるなら、確かにダンゴムシに「心」は存在するようです。最初の実験は円形状の運動場のまわりに水で堀を作ったところにダンゴムシを置くというもの。ダンゴムシは触覚しかなくて目が見えず、また水が怖いので、直進して堀に近づくと、方向転換し、あとは堀に沿って運動する。しかし、いつまでいっても怖い水から逃げられないという「未知の状況」に直面する。このとき、21匹中3匹が堀に明らかに積極的に突っ込んでいった。「障害物=堀に沿って動け」という本能(そのほうが障害物を避けられる)と、「水は怖い」という本能が矛盾し、そこでダンゴムシの「心」は普段は押さえつけている「水に突っ込む」を選択する。「心」が見えた瞬間です。

別の実験では、円形の運動場を円環状にし、円環の中央部分に障害物を並べる。今度は堀には突っ込まずに、障害物に乗り上げ、さらには障害物伝いに移動する個体も現れた。この場合、ダンゴムシの「心」は、「水は怖い」「堀に沿って動け」の矛盾という「未知の状況」に直面しているのは同じなのですが「水に突っ込む」ではなく、「障害物に乗り上げ」を選んだわけです。(ちなみに、この状況で堀の代わりに登れない壁にした場合、壁と障害物の間の狭い部分をひたすら移動するだけ。)また、障害物に乗り上がる頻度がランダムで、単純な学習でもない、とも書かれています。

問題は、筆者の「心」の定義を受け入れるかどうか。私の疑問は、対象が本能や反射(またはそれを動かすプログラム)と矛盾する状況下で何か決定を下すとき、可能な選択肢のなかから適当なものを確率法則で選んだら、それを「心」と言えるのか、という点です。ロボットのチャットプログラムがあって、いろんなパターンで言葉を返してくれるけれど、プログラムにない言葉がきたら、ランダムに言葉を返すとしたら、そのチャットプログラムは「心」があると言えるのか?

疑問はいろいろありますが、おもしろい本でおすすめです。書き方に科研費の書類を詳しくしました的なノリは感じるのですが。あと、筆者の言う「心の科学としての動物行動学」のとらえ方は「実験経済学」と本質的に同じです。動物の場合は餌を食べさせるには絶食する、人を実験に協力させようと思ったら金を払う(金を払うから実験経済学は心理学とは異なる)という点で。

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