2009年6月21日日曜日

本「北方 三国志2」

孫堅が死んでからの話。

袁紹と袁術が巨大勢力を維持するなか、曹操が青洲黄巾党100万を3万の軍勢で制圧し、信仰の自由の代わりに青洲兵5万を配下に加えたり、孫堅の息子孫策が袁術の猜疑の目の中、挙兵に成功し、着々と揚州を支配下に置き始める。一方、劉備は徐州を譲られるが、計算の上、呂布に乗っ取られた形にする。曹操と孫策がようやく翼を得て力を存分に発揮し始めたところでしょうか。

途中、劉備が、漢王室が400年ではなくずっと続いていくことが国としてのまとまりを生む、万世一系の天皇のような存在としての皇帝という考えを披露するのですが、こうした考えが本当にあったのかは疑問です。始皇帝のあとを漢王朝が引き継いだわけではなく、戦いの勝者として劉邦が前漢という王朝を立てたのだし。400年も続くと、無限に続くのがいいことだという考えがあっても不思議ではないので、完全否定はできないのですが、すこし違和感を持ちました。もっとも、劉備は自分が漢王室の流れを汲むことに正統性を置いているので、彼がそう主張する理由はありますが。

0 件のコメント: