昨日、物理学会誌が届いたのを自炊するために分解しながら、パラパラと眺めていたら、金子先生の記事を見つけました。それは、1979年の東大物理の卒業文集に寄稿された久保亮吾先生の「基礎と応用」という文章の再録に関するもの。
内容は、日本に10年近く滞在したフランスの研究者D氏と久保先生の会話から始まり、D氏が「日本は応用科学には力をいれるが、基礎科学への努力は甚だ乏しい」という日本科学への短評から始まります。「フランスでは技術者でさえ、最も基礎的なことをやりたがる」「誰でも、できるならカルノーの原理のようなことをやりたいのだ」と。
それに対し、すこし「意外」という感想と日仏の比較のあと「基礎科学と応用科学の意味とその関係」についての話になります。久保先生の文章では極論として、真理とは役に立つもの(By 高橋秀俊先生)で、「役に立たないものは真理ではない。」「真理を求めるのが科学なら、応用とか基礎の区別は意味がない」となる。「その上に何かあるものを構築され得るだけの基礎を探求する、というものだけを基礎研究と呼ぶとすれば、それは実用を目的としない研究というのとはちがった意味である。」また、「大事なことは、役に立つ基礎を一つ新しく築くことである。」と。
最後に、話の落ちがお説教になって申し訳ないとしながら、「物理学科を卒業する諸君の仕事は本当の基礎を営々と築く活動であると思う。何も物理の分野に限ったことではない。物理の精神は本来、そういう基礎の学問であり、最も応用がきくものである。それが教育できたとは私も思っていない。むしろ、物理をやろうと思ったその気持ちの中にそれがあったはずである。」(1979.2.26)
北里物理の学科長は十河先生。久保先生の最後の弟子として何を語るのでしょう。
あと、学会誌に最後の会員の声で、吉岡先生が「グラフェンでは困りませんか?」という記事を書かれていました。grapheneは「グラフィーン」という表記のほうが発音に近い。グラフェンだと、日本人はグラにアクセントを置きがちで、外人には「グラヘン」と聞こえてしまう。今変えとかないと、Reynolds(レイノルズ─>レナルズ、レノルズ)数、acoustic(アコースティック─>アクースティック)やlaundry(ランドリー─>ラーンドリー、ローンドリー)みたいな、ローマ字読みのカタカナをそのまま発音することになってしまうと。今年、修士論文の副査を担当するのですが、そのタイトルは「グラフェンの物性の理論的研究」。修正させたほうがいいのでしょうか。ちなみに、主査は十河先生。
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