2009年8月1日土曜日

本「北方三国志7」


いよいよ「レッドクリフの世界」、赤壁の戦いです。

荊州の江陵をベースに三十万の曹操軍が長江を下る。一方、揚州水軍を率いる周諭は、十三万の兵力の十万をずっと下流域に分散させ、残り三万で陸口に布陣。この作戦は、長江全体を水上戦に不慣れな曹操軍の罠とする、というもので、曹操がそれに気づくことも計算している。周諭の三万と劉備の三万で曹操は鳥林に布陣するしか選択肢がなくなる。三万という兵力も、多すぎれば曹操が陸戦に切り替えることを計算してのもの。あとは、風向きが北から南に変わる一瞬の隙をついて火攻めで曹操軍を破る。曹操軍が燃える火で石頭関の崖が真っ赤になったので、以後「赤壁」と呼ぶ。


昔読んだ本では、孔明が七星壇に登って祈祷し南風を吹かせたとか、眉唾な感じがあったのですが、北方三国志はその点説得力があります。曹操は油断していたのでしょうね。

赤壁の後、関羽が自分も劉備も五十を超えるのに、周諭は三十五、孔明も三十と若く、すこしあせります。
「天下に届かなければ、なんのための志だったのですか?」
「急げば届くのか、関羽?」といって嗜める劉備。
その後、赤兎馬の子供を貰い、関羽の気持ちもすこし治まったのか?なぜか印象に残る場面でした。

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